トイレットペーパーの話

昨年来のコロナ禍の中で気になる事件がありました。マスクが店頭から消えたことは理解できるのですが、トイレットペーパーが買えないというのです。必ず毎日使う生活必需品であり、けれども普段はあまり気に留めない商品。それが店頭から消えたのです。しかし同じ事件は過去に何度も繰り返えされています。もっとも強く記憶しているのがオイルショックの時代でしょうか。多くの物が市場から消えたのですが、その中でも紙パニックは長く続きました。もちろん買い漁った結果として、その後は長い間、造っても売れないとメーカーの悲鳴が上がりました。

冷静に考えれば、大多数の人に必要とされる市場製品は計画生産されています。出荷量に見合った生産をするのは企業の経済活動では当たり前のこと。しかし需要が一気に2倍以上に膨らむと、瞬く間に市場の在庫が無くなります。加えて消費者の防衛本能が働き、買い漁りが始まります。買えずに困る人の声を報道が大きく伝えることで、騒ぎは拡大の一途を辿るでしょう。こうして度々ニュースとなっているトイレットペーパーですが、ではいつから日本にあったのでしょうか。

前に少し触れましたが家庭紙卸の会社にいたことがあります。会社の業態を外食業向けに転換してゆくなかで、大きなチャンスとなったのがファミリーレストランの台頭でした。高度成長による豊かさを背景に外食ニーズが高まり始め、出店すれば行列ができた時代。若い頃ですが家族でファミリーレストランに行くと、1時間待ちが当たり前のようになっていました。「ロイヤルホスト」に「すかいらーく」、そして「デニーズ」と、御三家が登場した時代です。

縁あって1974年に原宿に出店したロイヤルの東京1号店、「カフェテラスロイヤル」の取引をさせていただきました。場所は明治通り沿いのパレフランス(東郷会館)で、たとえ納品業務でも行くのが楽しみなほど素敵なカフェレストランでした。ロイヤルホストの展開が急務の中で、惜しまれて閉店しましたが、その後そこにオーバカナルが出店しています。当時はオープンテラスの超人気店として大きな話題となりました。

3年後の1977年に「ロイヤルホスト」東京1号店の三鷹店が出店します。ご縁が続いて取引が始まったのですが、当初は食材も資材も福岡カミサリーからの自社便供給でした。しかし首都圏の店舗数が増えると、サプライルートの長さが足かせになります。その時に現地調達品として上がった品目の一つがトイレットペーパーでした。新宿に東京本部があった時代です。購買担当の方から数年後に東京食品工場ができると聞いていました。桜新町の東京本社落成が1982年、翌年に船橋のセントラルキッチンとカミサリーが竣工して稼働します。店舗への配送効率とバックヤードのスペース削減を考えながらも、購買担当に何か話題を提供できないかと調べ始めました。そして昭和23年に、富士市にある製紙工場が進駐軍の入札に応じて納入が始まったのが、国内初のトイレットペーパーだと知ったのです。その会社、新橋製紙株式会社にコンタクトを取り、仕入交渉に向かいました。家族的な社風を持つ会社でしたが、新しい挑戦には信念を持つリーダーが必要です。綿密な計算と準備、それを支える設備や技術力、加えて製造や販売に動く人の力が欠かせません。日本初のトイレットペーパーはこうした会社によって製造が始まりました。日本企業の終身雇用は障壁とまで言われる時代ですが、商品開発や技術革新、さらに品質改善のプロセスは、社内や取引先とのチームワークに支えられていました。それが世界で「Made In JAPAN」のブランド化に成功した理由の一つだと思っています。

話の中でこちらの会社については情報があったようで、取引に問題はなく、すぐに商品の検討になりました。
レストラン向けの業務用途ですので、以下のような課題とその対策を整理しました。

① 紙質をどうするか→→→お客様に不快感のない適度に柔らかい紙で、再生紙のシングルロールはどうか

② 長さをどうするか→→→長尺の100m巻は交換回数で有利だが、紙質やホルダーに問題はないか

③ 個包装をどうするか→→→お客様がペーパーを交換する場合、剥がした包装紙や紙管が散乱しないか

④ ケース入数をどうするか→→→配送効率と、店舗の必要数や在庫スペースは、どこで折り合い付けるか

⑤ ロールホルダーをどうするか→→→スペアを収納できるホルダーで、1巻ずつしか使えないタイプはないか
(2連ホルダーでも両方が使える仕様は、2本とも平行使用され、スペアがなくなっていることも多い)

ここまで詰めてから新橋製紙さんに商品提案をお願いしたのですが、これはどうかと見せられたのがソフトシングルの80m巻きでした。紙質は適度に柔らかく白度も良好です。製紙原料はオフィスペーパー古紙がメインなので、紙も白く、小巻の製品では生活クラブのPB商品で好評ですとのこと。その後に製造工程を見学しましたが、原料古紙に混入したホチキス針やクリップなどの金属除去、加えてコピーや印刷のカーボン除去に苦労が多いと説明があり、実際に見せてもらうと脱墨工程の廃液は真っ黒でした。

最終的にソフトシングルの再生紙、長さは80m、紙幅はJIS規格の114mm、紙管あり、ロールは個包装で裸の30本入りとしました。幅を108mmや105mmに小さくすると、製造上は1本分多くなるので多少のコストダウンができるとの提案もありましたが、ホルダー内でロールの遊びが多くなるので除外。ケースは5列x3列の2段積みで小さく、バックヤードのシェルフに収納できそうです。ホルダーはTOTOの縦2連タイプで、紙管を外せばスペアを簡単にセットできる構造のものが見つかり、上のホルダー部にカバーの付いたタイプを選びました。結果として日本で最初にトイレットペーパーを造った工場の話は役立ったようです。その後、様々なアイテムを納入させていただくことに繋がりました。

その担当者は先輩の独立創業に合わせて会社を移りましたが、その後もよく連絡をいただきました。これは手に入らないか、こんなものはできないか、ということが続き、お役に立ててとても嬉しかったです。そのレストランは大きなサラダバーが特徴の素晴らしい店舗でしたが、3店舗を最後に解散しました。

トイレットペーパーのJIS規格(抜粋)

数年後、彼から久しぶりに頂いた連絡は名古屋からでした。チタカさんの購買部にいるが、相談があるので一度来て欲しいとのこと。久しぶりの再会でしたが、購買部長の名刺をいただき、安堵したのを覚えています。内容は自社開発した「とんかつ」店を首都圏に展開するので、取引して欲しいとの話でした。個々の商材については部下の方を紹介していただき、その担当課長と詰めることになりました。帰りの新幹線車中では缶ビールで祝杯を上げて喜びましたが、ご縁をいただいた方々のご活躍を知るのは喜びです。その後は課長との商談が主で、直接話すことはほとんどなかったのですが、「部長は忙しくしています」と聞いていました。こちらも様々な案件を抱えていましたので、「とんかつ店」の本牧1号店開店後、名古屋に行く機会を持てずにいました。

そして突然に訃報が届きます。告別式の案内状でした。間違いなくご本人のお名前でした。葬儀は社葬となっていましたが、理解できないまま担当課長に電話すると、「病気の件は言わないで欲しい」と強く頼まれたていたとのこと。当日はたくさんの参列者の中で、最後のお別れの列に並びました。進みながら対面した瞬間に絶句し、涙が止まらなかったのです。厳しく想像を絶する闘病だったことを一目で理解しました。あの人懐っこくて明るい笑顔も、少しハスキーで柔らかい声も、再び接することはできなくなりました。しかし棺の中でも優しさの面影は失われていませんでした。

出棺の時に目にしたご家族の、小さなお子様が両脇で奥様を支えるようなそのお姿は忘れられません。明るく、直向きに生きられた人生だったと思います。誰にでも優しく、時に力強く行動する。仕事を通じて何度となくお付き合いを重ねましたが、この別れは無情です。帰りの新幹線では涙を堪えきれないまま、人となりを走馬灯のように追いかけていました。その日に唯一の救いがあったとすれば、彼を役員として弔っていただいた、チタカインターナショナルフーズ社の存在でしょうか。改めて心よりの感謝を述べさせていただきます。その後のことですが、「パステル」事業で大きなお取引をいただきましたことも併せて感謝いたします。

私は、仕事の多くで人々に支えられて来ました。知識も情報も多くはお客様によってもたらされ、励まされたものです。いつしか仕事でお返しできればと思いながら歩んできました。そしてできる限りはそうしていきたいと考えています。

葛巻良隆さん、あなたことは今もはっきり覚えています。お世話になりました。本当にありがとうございました。

2021 年 5 月

小林 文夫

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