シートペーパーをご存じですか?

― 本木昭子さんを偲んで ―

この話も元々は国内にはなかった紙製品を取り上げました。

話は取引先からの連絡で始まります。ある製品の売り込みがあり、営業は採用に前向きだがちょっと不安があるとのこと。理由を尋ねると、直接輸入している会社からの売り込みだが、その商品しか持たないので、安定供給できるのか判断ができないというのです。続いて購買部としては単品取引が難しく、中に入って欲しいということでした。話を聞き、商品を調べ、採用時には納品窓口になって欲しいとの依頼です。了解すると、ほどなくその業者から電話がありました。まだ商品をよく知らないので一度来社して欲しいとお願いしました。

後日来社した方が、アテイクコンテンポラリー社社長の本木さんと松岡さんでした。これは手強い人だな、と思ったのが第一印象です。メーカーや流通業界の人とは異なる存在感がありました。一番驚いたのは商品を売りたいという気持ちがないことです。「この商品が女性には必要です。普及させたいのです。」ここから始まりました。その商品がシートペーパー(便座カバー)です。その一念で外食企業にサンプルを持って出向き、なぜかこちらに連絡するようにとの話になりましたと、半ば「どうしてでしょう」と聞くように身を乗り出します。机を拳で叩くような熱意を感じました。彼らは「できるだけ取引先を集約したい」と考えたので、商品の必要性は理解しています。(紙製品なので)私どもに白羽の矢が立ったのだと思いますと話すと、「ああ、そういうこと」との一言で収まりました。

話を伺いながら、感じた違和感の輪郭が浮かんできました。商品の販売やサプライルートのことなど、手続き上の商談に来られたわけではないのです。ご自分で使ってみて本当に感心したから、使ってありがたいと思ったから広めたいとの思いです。日本にない商品なので自分で輸入することにしました、と続きます。女性たちが、トイレットペーパーを引き出して便座に敷いているのをご存じですか、とやり込められるのです。食事を楽しむレストランでは絶対に必要ですよ、とあちらにも言ってきました、と続きます。

こうした無名の商品の中には、後に大きな存在感を示すものがあります。誰も知らなかった商品が一部の人の評価で目立ち始め、やがてその人たちの応援で広がってゆく。多くの方の評価を得ることになれば、それがあたりまえ(スタンダード)になります。要はまだ眠っている商品価値を、誰が見出してスポットライトを当てるのか、ということです。本木さんは「私の動物的な勘ですが・・・」と続けます。「これからの日本は、女性の社会的価値も仕事も今まで以上に高まりますよ。その時に社会で活躍する女性たちには、絶対に必要な商品なのです。」これには「はい」というしかありません。

その後商品が採用されてからも、アテイクコンテンポラリー社にはよく対応していただきました。一度商品の在庫切れが迫る事態もありましたが、本木さんは「航空便がトラブルで遅れたのよ。でも、だいじょうぶ、だいじょうぶ。私が空港に行って一番で出してもらいますから。」

驚いたことに、その言葉通りに商品が届いたのです。一般的には空港に業者便を待機させ、通関後に引き取って顧客に配送します。その通関は時間が読めないことが多い。しかしその現場に輸入者が出向き、航空会社と交渉すれば、機内からの荷下ろし順を変えられる可能性はあります。本木さんからそんな言葉を聞くとは思わず、顔を見直したのですが、ニコニコと笑顔で応えます。最近知ったのですが、その言葉「だいじょうぶ、だいじょうぶ」は彼女の代名詞とも言えるフレーズでした。

私には本木昭子さんを語ることはとてもできませんが、彼女の足跡を知れば知るほど、尊敬の念が湧き、尽きることがありません。沢山の人々に語られた彼女への賛辞と哀悼の言葉には、今でも数多く接することができます。

松岡さんからの電話で1996年8月に他界されたことを知った時、思わず「どうして!」と声を上げました。私にとっての本木さんは、もっと知りたい人、そしてずっと見続けたい人でした。当時デュニコンビカップを持って全国を歩いていた私に、パイオニアワークの魅力と厳しさを教えてくれた人でもありました。「でもね、だから遣り甲斐があるのよ」。そうですね、今にしてわかります。

紙がもたらしたご縁の一つですが、こんな奇跡的な出会いでした。仕事を通じてしか会うことのない人でも、 お互いに正直で真剣ならば、これからもこんな出会いがあるかも知れない。こう若い人たちに伝えたいと思っています。

彼女の成し遂げた大きな仕事の中で、私の知る「ペーパーのビジネス」は、ほんの一握りの部分だと思います。たぶん彼女に励まされ、努力を後押しされた人が沢山いることでしょう。2014年に朝日クリエから発行された「だいじょうぶ、だいじょうぶ本木昭子」という本は、72名の友人たちから寄せられたエピソードが綴られています。

知らない世界の本木昭子さんを知り、今はその壮大な世界感を惜しむことしかできないのですが、深い哀悼と心からの感謝を捧げます。

以下に本木昭子さん追悼の珠玉のブログをご紹介させていただきます。

・木内みどりさん 「本木昭子という女性がいたことを知ってほしい」

とても残念ですが、木内みどりさんは2019年11月に他界されました。

こうして今もこのブログに接することができることに感謝し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

またこの本「だいじょうぶ だいじょうぶ本木昭子」はJ-CASTトレンドでも紹介されています。

・伝説のイベントプロデューサー 本木昭子さんの本

木内みどりさんのブログの最後の写真は、本木昭子さんが死を避けられないものと悟った後に、日々の祈りとした言葉が書き留められ、自室の壁に貼られていたものです。語られなかった無念と覚悟、そしてそれらを乗り越えようとする心が、自筆で記されています。

人はこんなにも強くなれる。

そして、こんなにも優しくなれる。

本木昭子さんの残された言葉に、恥じない自分でありたいと願います。

ありがとうございました。

2021 年 6 月

小林 文夫

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